何かを考えていたのに盛大に忘れた。
お風呂の中ではあーこれ書いとこ、とはっきりと思っていたはずなのに。
こんなことばっかりだ。
そういえばこのあいだ実家に帰った時にぼくたちはなんだかすべて忘れてしまうねをとてこようと思っていたのにそれこそすっかり忘れて帰ってきた。
仕方ないから最近のことを書くと、まったく勉強できなくなってしまった。新しい現場にはいり、新しいことを山ほど覚えたり誰がパワーがあるのかとかをリモートで推測しているとそれだけで気が狂いそうだ。だから他の時間はほとんど屍。
Netflixでクィア・アイのドイツ編を全てみた。前半4話を見ていた時は結構酔っていて、素晴らしさに毎話号泣しながら見ていたけど、最終話も素面で号泣だった。
シンプルに自分が弱っているし、ドイツのファブ5は柔らかく優しい。自浄のようなものを大切にしていそうだし、それぞれの喜んでもらえるかな、助けになるかな、みたいな少し不安みたいな気持ちも伺いみれる感じが、静かにドラマチックだった。5話少なすぎん?クォリティこれで量産は絶対難しいだろうけど、地道にまだまだ続編を撮り続けてほしい。
ドイツの文化というか、国民性にも少し興味が湧いてきた。言葉はわかる気がしないけど。
書いていたら思い出してきた。
人が、何が楽しいかということ、なんかたとえばファブ5に選ばれる人たちは、人を助けることが喜びになる(そうであってくれと思う)だとか、各人でそういうことって全然違うのだよな、ということを考えていた。
たとえば、MBTIとかを受けるのが好きなのだけど、私は割と本気で20過ぎても人間って本質的にそうは変わらないと思っていた。
けど、マジで最近、もしかして人っていろんな種類がいるですか?という気づき。
大学を卒業する頃には、人って多面的だなーっていうのが気付きだったのだけど、最近になって、もしや人ってそれぞれ何が嬉しいか何が辛いかが違うっぽいぞ、ということがわかってきた。
すごくない?何?
そして結局私は全く人の役に立つことが嬉しいとか思わないっぽい。普通に人と関わるのめちゃくちゃ疲れる。どんなに素のコミュニケーションだったとしても。
なんかあと辛過ぎて西洋占星術とかちらっと見てたのが、この気付きに至る助けだったっぽい。たとえば、出生時の月との関係性で悩みが違うだとか。私は新月生まれなのでスパッとした考えや行動や発言とかも一致するタイプみたいだけど、他のタイプみてると全然そんなことないっぽい人もいるっぽい。まじで驚き。
意外と人に説教しちゃう人ってこういうことあんまりピンときてないのかもしれないな。私も新年にはそういう無駄に口出ししてしまうことに対して負い目を感じていたのだけど。
まじでいろんな人がいるぜ世の中〜って感想で終わりでいい気がしてきた。
てかそう思うとまじで他人、興味な〜〜〜というのは加速してしまうんですが…。
まあそんくらいで良い気がする。いままでが他人と自分との相対性というか、影響や見え方を気にし過ぎ過ぎも過ぎくらいの感じだったから別にテキトーな気持ちでいいのかもしれない。自分の思いは自分だけで表現すればよいような。
考えてれば色々気付きがある。大変だ。