最近また、RIPSLYMEの時期が来ていて、ずっと聞いている。
シャワーを浴びる時の音楽が選べず、イマイチな気分の音楽を流してイマイチな気分で朝の用意を始めたりせずに済んでいる。
Apple musicのおかげで、例えば、Good Timesの裏盤みたいな、BadTimesとか、昔のとかいっぱい聞けていて、お金がない中学生の頃に精一杯背伸びして買ったGoodTimesの限定盤が恋しくなってきたし、狭かった世界を考えたりした。やっぱりRIPSLYME最高だな、TERIYAKI BOYZも大好きだけど。
草間彌生と松本幸四郎の対談とか見ていて、草間彌生の発言がガンガンによくて、とても重くて、言葉〜〜〜〜って思った。本を読んでいたり、たまにただの文字の羅列のことも、自分がどれだけ感情移入するかだけじゃない文字の重みはあると思うと、やっぱり、ああやってどっしりと重みのある人間の放つ言葉だからこそ独特の色や温度や重さがあって、うっかり心が震えるね。簡単に心を揺さぶられてしまっていいんだろうかとかも思うけどね。
だれの感傷かとか、そういうことを考えていたけど、もう、それぞれ、それでいいのかなとか思ったりした。
ツイッターの裏アカの固定しているツイートは「全人類に苛まれて生きて欲しい」なんだけどいまはそんなに思わない。
他人と自分との中身が、どう違うのか、私があまいのか、とか他人とどれくらい広さが違うか、温度が違うかなんてことを、知りたいと真面目に思っていたけど、やっぱり理解できるわけでないし、きっと一生そんなことわからないし、そこに対する寛容さは少しでてきた。
それは、寛容に感動できたからで、寛容に受けとめてもらえたかも、という瞬間と、「違うだろうけど、この人はこうなんだな」と認めてもらえたということ、と、そうでない浅はかな拒絶や、わからないから大人しく無視、とか。
まあ、またすぐ変わったりするんだろうけどね。
たぶんまだ不安定なまま。