ZENRA

人生はじめてっぽい

2022年9月8日(木)

週の中日でこんなに酔えるとは思わなかった。

20時半くらいに帰宅してずっとご飯を食べずにお酒だけを飲んでいた。

ので感情がめちゃくちゃだった。なんか半生分振り返ったみたいな感じ。生きるの辛すぎ。

 

いいことはあんまりないような気がする。重くてダルくてしんどい日々な気がするけど、自分が気を許した相手にだけとても同情したり勝手に泣いたり、安心したりと感情が無駄に騒がしい日々のような気がする。

合っているか間違っているかは本当にわからない。どっちなのかはわからない日々。知人の発言の、なんか間違ってるような気がする旨をつぶやいていた人と、勝手にキリスト教のその人が耐えられる苦痛しか与えない旨の言葉を信じる知人とは、どちらもあってるような気がしてしんどい。

どれも受け止める術というか次に進むための言葉でしかないような気がする。言葉にしてしまうということはあってるのかとも思う。あってると信じて生きてきたのだけどあっているのか。

あっているとかまちがっているとかのことは考えたって仕方ないのは本当に本当に普段素面のときにはわかっているのだけど、やっぱりわからないし、そういう問題ではないような気がする。

 

そういえば解決した問題だけでいうと、私は以前にすべて既出のものであってもう新しいものはまったく出てこないような気がする、のようなことを友達に言ったのだけど、その友達はこれまでの作品の影響を受けずにはいられない、ようなことを言われて、でも感情が納得しないな、って思っていたのだけど、やっぱり、

自分が好きなバンドがたしかに例えば既出のようなすべて新しいわけではない音楽なのだけど、私生活の大変なこととかを含ませた音楽をリリースしたとき、それはやっぱり重くて、そんなエピソードだけで感情移入ばかりしてどうするんだって思うけど、でもやっぱりよかったので、確かに、全ての影響を受けざるを得ないけれど、でもそれが無意味なこととは全く思わないし、それが存在してくれているだけで何かが変わることって、あるんだろうなって勝手に思った。

 

受け手は自由のはずだしけどやっぱり大変難しいなと思う。

それは別に普通に低俗なことだけど、でも素晴らしいことだと、そう思うこともある。

酒を飲んでへろへろになっていると、まだたまに経堂と豪徳寺のあいだのコンビニや陶器屋さんにふらっと足を運べるような気がしてくる。2年経ってもまだふらふらとした気持ちでいる。

 

漠然としていないわけではないけどそれほど記憶喪失っぽくおぼつかない感じではなく、ふわふわとしているけど別にメンタルが不安定というわけではない。つらくはないけど当たり前にある、もしくは途方もない時間が感じられる優しさとかに、涙腺がすごく弱い。日々の綺麗なものとかを、些細だけど鮮やかに感じられている部分もある。

 

ちゃんとした最近のマインドを書き残しておきたいと思ったのに何て文字にしたらいいのか全然わからない。

何だか書き始めると安定しているみたいに思うけど多分いま酔ってだいぶ落ち着いた音楽を聴いたからであって、別に普段はそうでもないような気がする。あてられている感。

 

SNSでみかける人の幸福に複雑な気持ちを持ったりするけど、でもやっぱり親しい人の幸せはとても嬉しいし、いままで辛いことを感じている人のそばにいたときのような心臓がギュッとする感じを別に、その嫉妬したりする人に対して抱くわけではない。

なんかそう思うと本当に丸くなったような気がする。

自分が辛いことがあったわけではないのだけど、なんとなく傍にそういうことがある気がする。それらに過不足なく寄り添えていればいいなあと思うのだけど。そんなことは正解はないのでね…

 

まぁあと最近ぐっと思うようになったのは何か自分が作りたいなあと思うことくらい。練習に文字を書いてみたりしてるけど。まあなんかそういう感じ。

そういう感じです。

2022年8月16日(火)

全然更新していないからなんか書かなきゃなって思ってたけど10日前に意外と書いてはいた。

そこから何かあったような何もなかったような気がする。2020年はあっという間に過ぎて、2021年もあっという間に過ぎてほぼ記憶がなかったのだけど、2022年も記憶なさそうで引いてる。人生〜。

 

ほぼなかったお盆休みは、意外と久しぶりの人に会ったりして充実していた。

今はその皺寄せが来ている。頭が異様にわ〜ってなってるのにわ〜ってなってる割に何もできずにほぼベッドに横たわっている。しんどい。夜もあんまり寝れなくて3時頃に寝たりしている。運動不足なんかしら、と思うけどちっとも家を出たくない。

読みたい本もたくさんあるし勉強もしないといけないのだけれど。

 

誕生日のときに一人でベロベロになってしんどかったのを思い出して、盆休みに会った人になんだかずっと、結婚はどうでもいいけど子供産みたいって私が言っていて、人にはそれって順番すっ飛ばしてるの気づいてる?って言われてたしかに〜って思うけど、他人と一緒に協力していく誓いより自分から生まれてくる半分自分みたいな生き物は違うんだよなーって思ったりする。でもきっと何にもわかってなーいって思う。自分自身が。それが何を引き起こすのか、よくわかってない。

友人が子供を産んで会いに行った話を色々と母に話していたら、母はおままごとみたいだね、と言ったのだけど、まあその時私はイラッとしたもののでもそんな感じはあるなーって思ってずっと考えていたのだけど結局最初はそうなんだろう、というか、おままごとみたいじゃないなんて結構難しいんじゃないか?と思った。どうしたってそういうものだろうと思う。先日書いた新入社員だって、自ら何か場面に合わないことをポロッと言ってしまった時に、こういうとこが学生気分が抜けてないところでダメですね、みたいなことを言っていて、でも私もそうだったな本当に。と思った。

揶揄することはできるけど、まあでもパーティみたいなのはいいことだ。みんなが等しく幸せで楽しく人生を過ごす権利はあると思う。

どうせ楽しいことばかりじゃないんだし。

 

最近やっと文字にしてメモったのだけど、今年の今の所の気づき、

自分のストレスを勝手に他のことを指摘したりボロクソ言ったりすることで解消しない、

欲しいけど手に入らないから要らないって思い込んでることとかに自覚的になる。

1つ目は去年から持ち越しでの気付きなのだけどやっと身についてきたような感じがする。と思いたい。

 

気付きって打ってて思ったのだけど、最近エロ漫画の言葉で「分からせ」ってあるっぽくてマジでよくそんなクソみたいな言葉生み出せるなって思った。

どんな締め…