ZENRA

人生はじめてっぽい

思い出

 

 

わかってもらって、慰めてもらったり、自尊心を満たしてもらうことは無理だったけど。

それでも、やめようと思ったことに対して、じゃあ、そう、そう思うならしんどいね、と言ってもらったのは嬉しかった。

 

執着の理由を思い出した、認めてもらったからだ。

 

自分が頑張っていること、疲れていること、わからなくても、そうやって見ていてくれたり、理解してくれたことがうれしかった。人の言葉でなく、多分、その人の感覚の中でわかってくれていた。そういうことが。

 

書いたらうすっぺらくなった。

 

最初に認めてもらった彼に、つまびらかに、わかってもらいたい、だけかも。

 

わかってくれる人を探しにいきたいと最近思う。

 

よくわからないところで、わかってもらえないけど、自己満足や偽ることに神経質だし。だけど、たまに、いいところでちゃんとそのまま受け止めてくれる。

 

もう、価値観がとても違うけど、良い友達だなと思った。

泣きそうだ。終わっちゃったみたいで。

 

 

言葉を、枠組みを考えたり当てはめて説明したりするのは、できるだけ、なめられず、理解して欲しいからかも。

相手方の背景や考え方に囚われて理解してもらえないこととか、そういうことが嫌で嫌で仕方なかったし、どうしてもそのまま、理解してほしかった。ちがう、そうなんだけど、自分も、背景は、判断材料にするのだけど、偏見?を持って、自分が美しく見られたい願望が強すぎるから、ちゃんと受け止められていないんだ、とバカにされる要因を外的なものに転嫁させてるのかもしれないけど。

 

いや、どうだろう。みんな、中身までちゃんと、検討している気がしない。

想像力、とかたりない気がするし。いろんな視点、とか。って、考えられてると浸っているだけかもだけど。

 

あーあ、お尻フェチの話まじどうでもよかったなあ〜。