ZENRA

人生はじめてっぽい

2022/03/05(土)

とにかく体調が悪い。頭がガンガン痛くて、家事やら何やら一つ一つの動作のあとに結構な休憩が必要。

昨日酒飲んで湯船に浸かってのぼせた上に夜更かししたから?まじでしんどすぎる。

夢をかなりみたし。夢がすごい活発だったからかなり酔いが回っていたんだなと思う。

酔いが回ると脳がバグっていろんな記憶を急に取り出してくるし、かなり鮮明で現実みたいに思える。素面で寝ると意外とやや明晰夢みたいに感じになる。

 

頭の中の移り変わりを残しておきたいのに、最近なんだか落ち着かなくてうまく書き出せていない。直近でハッとしたのは実はあんまり全然人に何か自分のこと伝えたくないのかな、と思ったりした。

親類たちは、勝手に子供たちのことを考えたりジャッジしたりして急に説教してきたりするのでなんとなくやってるとかそういうことを主張しておかないといけなかったような気がする。負けないために布石をうっとかないといけない、という意識のことを考えたりしていた。

あと小学校のときにうまく人と話せないな、と思った時に、もしかしてうまく人の記憶に残らないことは存在しないことと同じなのではないか、ということを考えていたりしたときのこともあるかもしれない。あと、主張しないでオープンでいないと人とうまく交流できないんでは、できないんではというかうまく人と交流するためにオープンでいるべき、と思っていたような気がする。

なんかそれが癖づいているのか、人に何か伝えられていないと焦ってしまってい多様な気がするけど、このコロナ禍で。

でもそもそも結局、そんなに人に何か伝えたいことあるか?と思った。脅かされることはないのだよ、と自分で思った時に、じゃあ別に誰に伝えたいこともないな、と思った。別に自分が楽しいことや知識欲を満たせていれば満足なので。

このブログはそういう思考の遷移を忘れたときのためのメモ書きだけど。

あくまで、今のところ自分的には人間は群れでうまくやっていっていないと生きられないという根本的な生存の本能はあると思っているのだけど、だからあくまで、誰に何を言われても怖くない、ということは全然なくて、他者に排除されるような否定されるようなことを言われると思うし、それは引き続きストレスなのだと思うのだけど。

 

でもやっぱり、自分が何か、人に話す時に根本的にあったのはそういう守備的な側面と、周囲の人に知ってもらわないといけない、という基準だったような。それではない会話をしたいな、と思った。そうすると本当に対話ってなんだろうなって思う。

自分が人に聞いてほしいことや今気持ちが昂っていることをひたすら話すのではない方法で、人と話すことを通じて行う交流とは…

 

何か良い本がないか探したい。